虫の知らせか もうそろそろ来るかな~ と思っていたら

案の定 先日 「何してる まだ ブログは更新しないのか?」と

9つ年上の東に住む長兄 と 6つ年上で西に住む次兄から 

なぜか申し合わせたように 同日に 電話がかかってきました

ふふふ・・・

両親の代わりに 私がさぼらないか 監視しているようです

 

工房では 窯の各部の機械のメンテナンスをしてもらったり

棚を新しく作ってもらったり 窯の棚を積むときに使う支柱が

この数十年の間に 焼成の熱で膨張していて そろそろ変え時を迎えていたので新調したり

棚板をきれいに磨いてもらったり 

 

まだ使えるものは 自分で修正し アルミナ液で塗り替えたり

色々 忙しそうにしているようです

 

私は・・と言うと 荷造りや 発送に追われつつ

先日 銀行が遠くなり ATMもなくなり 不便になったと 愚痴っていたけど

だんだん 歩くのに慣れてきて 4000歩クリアしたら

もう少し 歩いてみようかしら・・・と 羊羹のお店まで足をのばしたら 6000歩

「な~んだ 行ける!」と 車ばかりに頼っていた生活を見直し 

気の向いたときに 歩けそうな範囲で ふらり ふらりと あるいてみたりしています

 

先日 その羊羹のお店に行った帰り道 「あら この裏道はどうなっているのだろう?」

折角歩いてきたので 車で走らない道を歩いてみようと 誰も人通りがない静かな道を進んでいくと

そこは 懐かしい 昔の窯業大学の裏手に出ました

今は 名前も改まって 佐賀大学の芸術地域デザイン学部 になっています

 

 

私は 30年ほど前に この学校に通っていました

有田に嫁いで半年くらいが経った頃 焼き物の事がさっぱりわからなくて

短期(半年間)の研修の募集のポスターを見て 受験してみようと思ったのでした

 

その頃 まだ目立たないくらいでしたが 私のお腹の中には子供がいました

どうなあるか分からないけど 健康だし 勉強するとしたら 生れる前の今しかない と

今考えると無茶なことをしたものです

受験するのに 診断書が要り 当時かかっていた産科の先生に 

「受験するので診断書をお願いします」と言うと

私の顔をじっと見て 「これから学校に行くんですか?」と 聞かれ

「はい」と 元気よく答えると

カルテを見つめながら 小さなため息をついて「俺なら 絶対落とす」と言われ

クスっと 笑ったことを思い出します 

 

若気の至りというのか

なんでもやってみないと分からない と 思ったのです

 

そして その受験の日 筆記試験とデッサンがありました

筆記試験はともかく

問題は デッサンでした

テーブルの中央に置かれた四角い箱を描く試験でした

 

なんと私は 平行四辺形の上面を描いて 柱を3本

横線と斜めの線を引いたら 箱を書き上げてしまい それでお終い

 

シ~~ンと静まった教室には 背景やテーブルや影を描く 

せわしない鉛筆を走らせる音が 響いていました

 

私は やることがないので もしもの時に必要かと

持参していた小さな携帯用の先のとがった鉛筆削り で

時間つぶしに 鉛筆を研いでいました

静かな教室に流れるデッサンを描く鉛筆の音に混じって

私の ゴリゴリ と 鉛筆を研ぐ音が響いて・・悲しくなります

チラッと 周りをみてみたら

美術の本に載っているような 見事で 美しい 箱の絵が描かれていました 

 

簡単に思い立って 受けた試験 考えが甘かったのです

「もう 私はダメ 午後からの面接は受けないで帰ろう」と心に決め

泣きたい気分で帰宅しました

 

「面接はもう行かない もうやめた もう無理・・」涙ぐむ私に

夫は「途中で投げ出すのはいかんやろ 最後まで受けてきたら」と 背中を押します

泣く泣く戻った試験場 面接では 

「この町で焼き物に関わっていきます」と 

そんなしっかりとした覚悟も本当はなかったけれど

私に言える 苦し紛れの ぎりぎりの答えでした

 

 

試験は 町外からの受験者がほとんどで

町内で受けた人は 3人ほどでしたので

町の後継者という事もあったのか 何とか合格させてもらいました

 

毎日お弁当を持って 楽しく この道を通って行きました

私は 素焼きの上に 筆で絵を描く 下絵を学ぶコースを選びました

 

教職を終えて この道に進みたいという女性

学校を卒業後学びに来た若者

自分で窯業を始めたい人

職種も年齢も目指す道も それぞれでした

 

だんだん大きくなる私のお腹を「いい子が生まれますように」と撫でてくれる人

 

入学してしばらくした頃に「あのもしかして ご主人展覧会で入選したりする人?」と聞かれ

「入選は知らないけど 焼き物を作る人よ」と答えると 

「あ~~ 私ね 前に お見合いしたことがある」

目がくりくりした可愛い女性でした

「あははは・・」可笑しくて これもご縁と 仲良しになり いつもお弁当を一緒に

 

私がびっくりしたのは 校舎の裏側の空き地に ブゥ~~ンとけたたましい音を立てて

大きなバイクの横に付いた座席に乗って 颯爽と通ってくるNさん

いつも素敵なフリルの上質のお洋服を着て パンプスで闊歩していました

「にしやまちゃ~~ん」と色っぽい声で私の事を呼び 

毎朝 送ってくる男性が ご主人だったのか 恋人だったのか 最後まで謎でした

 

 

半年ほどの研修は とても とても 楽しいものでした

学んだ技術はと言うと なんとも お恥ずかしいのですが

卒業式を目前にして 長女が誕生し

産院で 卒業証書をもらいました

 

大きくなって ピクピク動くお腹の上で 描いたお皿です

ふふふ・・・

載せるのも恥ずかしいのですが 思い出のお皿なので

筆で線を描き ダミ筆といって たっぷりの青いゴスを含んだ筆を絞りながら

色を付けたものです

 

 

退院後 ご挨拶に行ったときに ご指導くださった E先生が

「君は 絵が下手だし お腹は大きくなるし

卒業できるかと心配していたよ ガハハハハ」と笑われ

焼きあがったお皿を渡してもらいました

 

あれから 30年

先生方は すでに他界されたことを風のうわさで聞いています 

みんなどうされているかな~と 懐かしく

楽しかったあの頃を思い出しながら 学校そばの道を歩いて帰りました

 

 

 

佳秀窯HP ↓

 https://www.nishiyama-tadashi.com