私の実家は 片田舎にある ちいさな酒屋でした

父は 開店当初から その商店街でも 一番に店を開けないと気が済まない

誰よりも 身を粉にして 働くことを美徳に思うような 頑固な父でした

 

年末から 年始にかけて 一年でも 一番の書き入れ時です

父は 誰よりも早く起きて 頭に キリリッ と 鉢巻をして

開店の準備をします

 

私たち 兄妹も 早朝から 店内 店先 の 掃除をさせられます

従兄 はとこ 叔父 まで 駆り出され 総動員です

 

お酒や ビールを 化粧箱に詰めたり ケースごと配達したり お昼を取る間もなく

母が握ってくれた おむすびを 立ったまま ほおばって 配達に明け暮れました

 

 

 とにかく 田舎なので 配達も大変です

庭まで 車が入らないところは 数百メートル先でも かかえて運ばなければなりません

昔のケースは お酒10本 ビール20本 になることも・・・

私の肩幅や がっちりした骨組みは そのころ 鍛えられました

進物を届けると 「アッ うちからも進物お願いね 」 帰りには 注文を受けて

忘れないように メモを取り 帰らなければなりません

 

ホッと 家に戻って ちょっと ビール箱に腰をおろして 休んでいると

「コラ~ッ! 何をさぼっているか!! 仕事をしろ~

お客さんは 待っている お客さんを大事にせんか!!」

女 子供 従兄 はとこ 無差別の 雷が落ちてくるのです

 

 

私は 今度生まれかわったら 絶対に 商売にはつかない と 思ったものです

「夫は 物を作る人だから 良かった~」と なぜか商売とは関係がないものと考え 嫁いだところ

アラっ! そんなこと! そうなんだ・・・・気づけば 商いは 私の担当となっていました

 

 

嫁いで はや 30年を過ぎて

お陰様で 手造りの作品を よろこんで使って下さる方がいてくださって

年末 年始と ずっと 忙しく 働いていました

水ぶきや 仕上げの手伝いをしながら 

桐箱や 発送の準備に追われ 間違いのないように 何度も 確認をし

緊張の日々ではありますが

 

ご依頼いただいたお客様のことを考えながら 梱包をしたり

この作品を どんな方が使って下さるのだろう・・・

どんなご家庭で使われるのだろうか・・・

色々 思い描きながら 仕事をするのが とても 楽しく 喜びになっていました

 

 

バタバタと 働きながらも

父が 「お客さんは ありがたいよ 感謝して 頑張って働きなさい」と

いつも 私のそばで 見守ってくれているような気がするのです

 

商い というより

私にとっては お客様とのご縁が とても有難く 大切で

とても楽しく思えるのです

私は この仕事をさせてもらって とても 感謝しているのです

父と母の子供で良かったと 今 やっと そう思えるようになりました

 

佳秀窯HP ↓

 https://www.nishiyama-tadashi.com/