今日の朝刊で織田廣喜先生の訃報を知る。雲の上のような偉大な先生で私は直接お会いしたことはないが、赤い帽子をかぶった少女の絵をすぐに思い浮かべる。

直接ではないが、先生とご縁があったのは、16年前になる。先生のご出身地福岡県碓井町に先生の美術館が立てられることになり、町から夫に白磁の大花器を左右一対になるようにとの依頼であった。

当時の松岡町長さんが福岡玉屋で初個展を開いていた会場にお出でになり「織田先生の絵を後世まで残して、町の文化を後々まで高めていきたい。」という内容のお話を熱っぽく語られ是非若い作家に作ってほしいと夫へ依頼をして下さった。

立派な先生の美術館に置かせていただける光栄を本当に有難く感じ、夜も寝ないようにして必死で制作した。轆轤であれだけ大きい作品は今はとてもできないと思う。当時底を削るのに家族全員で抱えてひっくり返したことを今でも思い出す。若かったあの頃でも体力的には限界であったと思う。落成式の前日無事にお納めすることが出来た。

その間美術館の関係者の方と何度もお会いする機会があった。先生は御病気なさった奥さまリラ様のお世話を愛情をもって献身的にされていること、先生が芸術的にも人間的にも素晴らしい先生だということを折に触れ話して下さった。

落成式にも有難いことにご招待いただきお写真も先生と夫と二人で撮って頂いたものがある。夫は先生のお人柄に触れ感動して帰宅した。私が一番驚いたのは、先生から頂いた肩書きが何も書かれてない真白い和紙にお名前だけが書かれた名刺を見た時だった。

先生の品格、お人柄がその1行に凝縮されているように思え、手にしたときは緊張した事を今も覚えている。先生と御一緒のお写真と名刺は我が家の宝物だ。

 心よりご冥福をお祈りいたします。